【東京都 / 広尾駅 / 広尾湯】古風で上品な女性を思わせる広尾湯
ーあなた、とってもおおきいわねぇ。
と左下から声がした。
見ると湯あがりらしき綺麗な灰色の髪で140cmほどのほっそりした小柄なおばあさまが、風呂に入ろうとパンツ一丁のわたしをまぶしそうに見つめている。
日比谷線広尾駅から徒歩30秒ほどの広尾湯さん脱衣所にて、お風呂に入る直前の出来事。
物心ついてから「今日いい天気ですね」と同じレベルで「大きいですね」と言われてきた私ですが、そのおばあさまの「とってもおおきいわねぇ」はなんでかとても親しみがこもっていて、思わずいやぁそうなんですと返す。
ーそんなに大きかったら、着るものも特注でしょう?Lサイズなんて足りないでしょう?困るんじゃない?
文字にすると今更さりげなく傷つくけども、私を見上げるおばあさまの目が真剣なのであまり気にならない。
ー最近は背の高い人も多いから服はMかLサイズで大丈夫なんです。でも足が大きいから安くて可愛い靴が全然ないのは困りますねぇ。
ーあらあ、探すの大変ね。ご両親も大きくていらっしゃるの?
ー父だけです。母はちっこいんです。
と会話を交わしながら少しずつ脱いでいく。
よく来るんですか?と聞くと、「最近はもう独り暮らしの人が多いから、この歳になるとおうちにお風呂があってもこっちに来ちゃう方が安上がりだし楽なのよ」と微笑む。
そうか。
いまはほとんどの家にお風呂があるとはいえ、お年寄りにとっては腰を屈める風呂掃除は重労働だし浴室で転んだりする可能性もある。人目があって広い浴槽にお湯が張られていてのんびり過ごせる銭湯は、そういう理由で毎日のお風呂代わりに使われているのか。
今日の広尾湯も夕方にもかかわらず10人近くのお年寄りがすでにいた。銭湯にお年寄りが多いのは、核家族化と高齢化で家風呂離れの背景もあったんだなぁ。
なんて、ぼんやり考えていたら
ーほんと、大きくてうらやましいわ。昔から人気者だったでしょう。
と相変わらず小さなおばあさまはキラキラした目でこちらを見てくる。
ーいやいやいやいや。子供の頃は、ちいさくてやさしくてかわいい守りたくなる子が人気者なんですよ。
ーあら、私は大きくなりたかったわ。
ー私はひょろ長くてガタイも良かったから、昔は大きいのが嫌で。体育館に集められる週1度の全体朝礼では、(もちろん当然のように1番後ろなんですけど)周りから頭1つ飛びぬけちゃうから恥ずかしくて、1番後ろなのに前の人の頭の位置に合わせて膝曲げて1時間立ったりしていたんです。正面の壇上に立つ校長先生しか気づかない、無駄な努力でしたけど。
というデカ苦労エピソード(掃いて捨てるほどある)をいくつかお話したら、おばあさまは目を細めてころころと笑って
ーあらまぁおおきい苦労もあるのねぇ。
わたしはもう骨皮筋衛門だからはずかしいわ。
うふふ。
といたずらそうな顔をした。
ほねかわすじえもんて。
か、か、かわいいいい…
すっ裸でおばあさまにきゅぅぅぅぅと心をつかまれ内心悶絶するアラサー。
ーほら、運動しないからどんどんやせちゃって。ズボンがぶかぶかなの。
とくすくす笑いながら、全身鏡で髪を直すおばあさま。
広尾湯さんの脱衣所は銭湯ではあまり見ないダンススタジオのような大きな全身鏡が3枚もあり、気付けばもうすっかり身支度を整えたおばあさまの横に立つすっ裸の私もしっかり映り込んでいて、あわててタオルを体に巻きつける。その間、同じく鏡で服を整えていた他のおばあさまがさっきのおばあさまに話しかけていた。
ー品のあるお髪色ですわね。
ーありがとうございます。お買い物に行くに濡れてしまったけど。
ー大丈夫ですわよ。カットも素敵だわと思ってました。
なんだこの上品な会話は。
デパ地下の化粧室で、口紅を塗りながら合コン前に相手を値踏みする性悪な女同士…にも当てはまりそうなセリフを、銭湯の片隅でおばあさま同士がのほほんと話すとこんなにハイソな雰囲気が漂うのか。。さすが広尾。
では失礼しますね。と微笑んでおばあさまが出て行かれたので私も浴場へ向かう。
浴場に入るとまず目に飛び込んでくるのはのどかなヨーロッパ風の公園を描いたような奥の壁一面のタイル絵。つがいの白鳥が泳ぐ川や池のそばには明るい芝生や木々が広がり、オランダ風の風車も見える。カラン上の片方の壁には、アールヌーヴォーをシンプルにしたような、繊細な女性の絵も2枚描かれている。
こじんまりした銭湯なんだけど、ところどころ上品。
浴場は、4列並ぶカランの奥に3つに区切られた浴槽がひとつだけあるすごくシンプルな作り。浴槽の内側にも綺麗な濃いブルーと薄いブルーの小さいタイルがびっしり敷き詰められていて、やっぱりどこか北欧を思わせる。
大正7年から井戸水と薪で沸かし続ける湯は結構熱めなので、湯船の端っこからおそるおそる入った。冷えた体がじわーっと手足の先から痺れるように温まる。
あーあ、いつかあんなかわいいおばあちゃんになりたいなぁ…
と思いながらオレンジ色の太い線が走る天井を見上げる。アーチ型で高い天井はなんだか不思議な開放感があった。
見た目は質素で古風なのにお客さまや浴槽の内側からにじみ出るほのかな上品さ。
スーパーモデルではないけれど、よく見ると端正な顔立ちのおだやかな女性のような、素敵な銭湯でした。
またおじゃまします。
今日もいい湯加減の1日でありますように。
ではでは。
広尾湯****************************************
******************************************************